ピアメディエーションの授業化に向けて
この年、全学講演会やロングホームルームなど全学的な取り組みが一層強化された年ですが、何にもまして重要なのは、ピアメディエーションを授業で実施するためにコース制の導入を決定したことです。
この年から、竹村先生という新しい校長が赴任されてきました。もとは体育の先生で、頑固を絵にかいたようなかたでした。「ピアメディエーションて、なんや」「これは生徒のためになるのか」と最初はかなり否定的でした。竹村校長の赴任前から、ピアメディエーションを推進してきた中村教頭や寺野主任と大激論を繰り広げており、私も、何度も竹村先生と議論させていただきました。
竹村先生がすばらしいのは、すべて生徒のためになるのかという視点で判断される点です。その点を徹底的に検討し、考え抜かれたのだと思います。ある日、私に2枚の絵を見せられ、ピアメディエーションはこういう理解でいいですかと聞かれました(図1,2)。竹村校長が、絵心のある湯之前先生に、具体的に内容を指示して図形化してもらったそうです。私は、それで結構ですと答えました。それ以降竹村校長の突進が始まります。
竹村校長が、湯之前先生に作成させたピアメディエーションの構図。
校長はポンチ絵と言っていた。
学校内のいろいろな取り組みを強化しながら、最後にピアメディエーションを授業で実施するために、「理系・文系コース」の他に「コミュニケーションコース」を設置し、そのカリキュラムとして、2年生がピアメディエーション1を、3年生がピアメディエーション2の授業を行うことを決めたのです。
私は、学校の授業でピアメディエーションを教えるのは早くても2,3年はかかると考えていましたので、この決定は驚きでした。
このコミュニケーションコースの授業は、2011年からスタートし、ピアメディエーション1について、最初は教員免許を持っていたシヴィルの会員が授業を担当し、翌年以降は茨田高校の教員が授業を行っています。
ピアメディエーションの授業化は、竹村校長の決断によるものであり、ピアメディエーションの発展にとって、たいへん大きな1歩でした。校長は、その後もピアメディエーションの普及に尽力されたのですが、なかなか世間一般に浸透しないので、知り合いの笑福亭鶴瓶さんに広報をお願いしようかというようなことも言っておられました。
しかし、2012年9月18日、竹村先生は、亡くなられました。59歳という若さでした。先生はピアメディエーションの発展に欠くことのできない存在でした。私たちと目標(野望)を共有し、酒の席ではこれからの作戦(夢)をよく話し合っていました。痛恨の極みであり残念でなりません。