2茨田プロジェクト~ プロジェクトのスタート

2 茨田プロジェクト

 

プロジェクトのスタート

 日本に帰り、しばらくしてから山中さんから電話が入り、大阪府立の茨田(まった)高等学校(以下茨田高校と言います)というところで、ピアメディエーションをやってみますかと言われました。

 山中さんは、茨田高校の第2期卒業生で、スクールカウンセラーをしていたこともあり、かねてから学校長や教頭の相談にのっていたそうです。当時の茨田高校は、入学した1年生が1年経過するころには、1クラス分の生徒が中退するという事態が続いており、中退防止対策が喫緊の課題でした。そのころのピアメディエーションの研究で、ピアメディエーションが中退防止に効果的であるとの報告はなかったはずですが、そんなことにはお構いなく、山中先生は中退にはきわめて有効な方法がある、それはピアメディエーションであると言い切ったそうです。校長や教頭は、それならぜひ取り組みたいと申し出があったとのことです。

 

 山中先生の「やりますか」という申し出に、私は、間髪おかずにやりますと答え、すぐにシヴィルの理事会で取り組みの承認をとりました。そこからシヴィルと茨田高校との間で、会議や勉強会(※1)をなんども重ねた結果、2006年10月から、協働事業としてピアメディエーションの実現を目指すプロジェクトを開始しました(当初のプロジェクト期間は3年間でしたが、その後何度も更新しています)。

 

 

 

教職員の猛反発

 しかし、プロジェクトの開始には、学校側の猛反発がありました。職員会議でピアメディエーションの導入を決議しようとしたところ、猛反対にあい否決されたそうです。学校の内部にいる人たち(教職員)にとって、われわれ(得体の知れないNPO法人のメンバー)は、外部の人間であり「異物」でしかないのです。ピアメディエーションなどという意味不明のものを学内に持ち込めば、教職員の負担がまた増えるだけとの認識でした。

 導入賛成派と反対派の教職員間での激しいバトルが展開され、その結果、試験的かつ限定的に導入することがかろうじて再度の職員会議で決議されました。

 そのため、10月から、プロジェクトは開始したのですが、その実態は、シヴィルのメンバーが学校に行っても部屋から出ることは許されず(監禁状態)、生徒と接触することも禁止される(面談禁止)というものでした。ピアメディエーションという生徒が主役の取り組みなのに、その生徒と話もできないという異常な事態から、本プロジェクトはスタートしたのです。

 

 それでも私は毎週水曜日の午後1時から4時まで学校に通いました。「監獄部屋」で暇を持て余す私のことを不憫に思ったのか、導入賛成派の先生がたが、特に緊急性のない相談をわざわざしにこられ、時間つぶしにつき合ってくれたものです。

 導入派の急先鋒である主任の寺野先生(※2)は、少し辛抱してほしい、何とか事態を打開するからということで、比較的自由に取り組める3年生への取り組みを突破口にして、なし崩し的にピアメディエーシを学校に広める作戦でのぞみました。

 

 1※会議や勉強会:当時、リチャード宮王さんにピアメディエーションの事業展開を報告した手紙を書いていますが、それによると2006年3月から10月までに、開催した会議は13回、勉強会は3回で、勉強会の講師は、レビン小林さん(当時九州大学教授)、峯本耕治さん(弁護士)、竹村登茂子さん(当時読売新聞社編集局文化部次長)でした。

 

2※寺野先生:体育の先生で元ラガーマン、ラグビー部顧問。猪突猛進型と思われるが、本人はつとに理論派であると主張している。後に、茨田高校の教頭、校長に就任。現在大阪体育大学教授