◆ピアメディエーション トレーニング講座「第2編 解説編」の再録について

 津 田 尚 廣

 

「ピアメディエーション トレーニング講座」の「第1編 テキスト編」は、茨田高校においてピアメディエーションを実践する際に作成した資料等をベースにして書き下ろしたものです。しかし、この「第1編 テキスト編」だけでは、ピアメディエーションのことがあまり理解できないと思われるところがありましたので、急遽「第2編 解説編」を作成することにし、大急ぎでまとめたものです。極めて短時間で書きましたので、不充分な点も多々ありますが、今日でも参考になるところがあると思われますので、ここに再録することにしました。

 

「第2編 解説編」

<第1章> 紛争解決とADR

1 ADRとは

ADRとは、Alternative Dispute Resolutionの略で、直訳すると「代替的な紛争解決手段」ということになり、一般的には、裁判以外の紛争を解決する手段・方法を意味しています。

具体的には、調停や仲裁などの紛争解決手続のことであり、諸外国においても広く実践されており、欧米、特に訴訟社会であるアメリカではたいへん普及しています。

 ところで、人が二人以上集まると、その間に愛情や友情が芽生えることもありますが、逆に揉め事・紛争・トラブルも生じます。この揉め事・紛争・トラブルにもいろいろなものがあり、ご近所同士の揉め事もあれば、私人間や企業間のトラブル、果ては国家間・民族間の紛争まで、規模や性格において様々です。

こういった紛争の解決手段として、最初に私たちの頭に浮かぶのは、裁判所で行われている裁判ではないでしょうか。しかし、すべての紛争を裁判所に持ち込むのは、いろんな意味で妥当とは言えませんし、現実的でもありません。

 すなわち、①裁判は、法律に基づく厳格な手続規定に基づいて運営されており、素人が裁判を自力で行うのはかなりしんどい話です。②そこで、弁護士や司法書士に依頼するということになりますが、これにはお金がかかります。③また、最終的に判決が出て紛争に終止符が打たれるまでに相当な時間がかかります。④さらに、大事な点ですが、裁判による紛争の解決の仕方は、白か黒かです。勝つか負けるかの世界で、灰色決着というのはありません。原告の請求を認容する判決か、その請求を退ける棄却判決かのどちらかです。

 紛争の中には、このような裁判手続で決着をつけるほうが適切だと考えられるものもありますが,そうでない紛争もたくさんあります。例えば、マンションの住人同士の揉め事(上がうるさいとか,ペットをなんとかしろ等々)を裁判で争うということになれば、場合によってはどちらかがマンションを出て行かなければならない事態になるかもしれません。かといって、住人同士の紛争が感情的になってしまい当事者間で話し合いができない状態になっている場合、そのまま放置しておくこともできません。このような場合、第3者が間に入った適当な話し合いの場があれば、問題を円満に解決することができるかもしれません。

 このように、紛争によっては裁判以外の方法で解決するのが適当な場合があり、そのための解決手段・方法を総称してADRと呼んでいます。したがって,紛争の種類や性格によって、いろいろな種類のADRが存在することになります。蛇足ですが、先ほど紛争の種類として、民族間の紛争をあげましたが、この民族間の紛争をADRで解決しようという取組が国連NGOで開始されています。

 

2 ADRの種類

 ADRの種類について、いろいろな分類が提唱されています。

 例えば、調整型と裁断型という分類があります。ADRの場合、紛争当事者の間に第3者が介入しますが、裁断型の場合、第3者が最終的に紛争について解決のための何らかの判断を示します。調整型の場合、第3者は当事者間の利害関係の調整をしますが、判断を降しません。

 調整型の典型は、調停ですが、その他にもあっせん、仲介といったものがあり、裁断型の典型は、仲裁です。ただ、日本の裁判所で行われている調停(司法調停といいます)は、調停員によっては、かなり強引に調停案を飲むように当事者を説得する場合があり、当事者はその調停案を拒否できるとはいうものの純粋に調整だけとは言えない面もあります。

 また、ADR機関を設置する運営主体の面から分類すると、①裁判所のADR、②行政型のADR、③民間型のADRに分けることができます。①裁判所型は、言うまでもなく、地方裁判所、簡易裁判所、家庭裁判所で行われている調停です。②行政型は、国や地方公共団体が運営するもので、労働委員会や公害等調整委員会等があります。③民間型は、民間の団体が運営するもので、財団法人交通事故紛争処理センター、弁護士会の仲裁センター、各種PLセンター等があります。PLセンターは,製造物責任法が施行されるに伴い、当時の通産省が各種業界団体に対して、製品分野別の紛争解決体制の整備を要請して設立されたもので、業界型と言われたりもします。

ところで、この民間型のなかで、NPOすなわち非営利特定法人が運営するものもあります。業界型のADRは、ともすると業界寄りであると見られてしまいがちですし、弁護士会が運営する場合は少し敷居が高いという感覚が市民の中にあります。しかし、NPO型の場合、中立性・公平性をアピールでき、市民が参加しやすい形態という点で注目されています。

 

3 司法調停の問題点

日本のADRの中でもっとも利用されているのが、前述した裁判所で行われている調停(司法調停)です。ところで、この司法調停には見過ごせない問題点があります。少しこの点を見ていきましょう。

調停に出頭した当事者と当事者が依頼した弁護士のこんな会話をよく聞きます。曰わく

「あの調停委員さんは絶対に相手方の味方だ」

「調停委員さんは、私にばかり譲歩を強いて不公平だ」

これに対して、弁護士は、

「そんなことないよ。あの調停委員は相手方にも厳しいことを言っているはずだ」

「調停委員はこの事件の落としどころを考えて、両方に譲歩を迫っているはずだから、不公平というわけじゃない」

と弁護士が一生懸命になって調停委員を擁護しています。依頼人は、弁護士にそんなものですかねえと答えたものの、決して納得していません(このあたりは別席調停の難点です)。

 ある事件を客観的にみると、だいたいこのくらいが妥当な落ち着きどころというのが見えてくることがあります。司法調停の場合も、調停委員の提案する調停案が、弁護士の目から見れば概ね妥当であろうと思われる場合があります。調停委員は、両当事者がその案を受け入れるように、なだめたり、すかしたり、場合によっては強引に当事者の要望を押さえつけたりします。そこで、説得された当事者が自分の要求を少しでも取り下げると、自分が譲歩したと感じて不満に思います。もし、この調停案と同じ結論に両当事者が自分の力でたどり着いたらどうでしょうか。きっと、両当事者は喜んで調停を成立させるでしょう。なぜなら、それは自分が勝ち取ったものですから。同じ結論であっても、人は押しつけられたと感じているものには反発を覚えます。したがって、当事者は不承不承調停案に賛同しますが、心から喜んでいません。しかも両当事者ともそう思っている場合があります。こんな不幸なことはありません。事件が終わっても、相手方、調停委員、裁判所への不満だけが残り、事件としては終了していますが、本当に事件が解決したと言えるのか疑問です。

さらに、喜んで成立させた調停の場合、当事者はその約束を守ります。自分で決めたことだからです。アメリカの社会心理学者の調査によると、紛争当事者の紛争手続に対する関与度が高ければ高いほど、その後の約束の履行率が高まるという結果が出ています(社会的公正の心理学 田中堅一朗 ナカニシヤ出版)。すなわち、裁判より仲裁、仲裁より調停のほうが、当事者の手続に対する関与度が高くなり、それに対応して履行率が高くなっているのです。

ところで、司法調停における紛争解決の構造と教師と生徒間の紛争解決の構造には似たところがあります。というのは生徒間の紛争を教師が収めるのは、一種の調停と言えなくもありません。そして、調停というのは、裁判所という国家機関の権威をバックにして成立しています。教師の場合も,学校あるいは当該教師という権威をバックにして解決するという側面があり、その点で類似性があるのです。

 

4 アメリカのメディエーションと日本の司法調停の違い

① さきほど、アメリカではADRが非常に盛んに実施されていると言いましたが、その中心はメディエーションです。このメディエーションのことを日本では調停と訳することが多いようですが,アメリカのメディエーションと日本の司法「調停」との間には、いろいろな点で違いがあります。我が国において,紛争の解決手段を考える上で,この違いは重要な意味を持ってくるものと思われます。そこで、以下いくつの点について,両者の違いを見ていきます。

② まず、違いの第1ですが、日本の司法調停の場合、それは民事調停・家事調停という裁判所付設型のものであり、当然ながら国家機関の一部です。アメリカのメディエーションの場合,民間の調停機関がたいへん普及しています。会社形態の調停機関も多数存在し、電話帳には数え切れないほどのメディエーション機関が記載されています。(株)三菱総合研究所の入江秀晃氏の報告によりますと、アメリカの民間会社として最大のADR機関であるJAMSの幹部クラスの人たちの年収が7000万円位ということでした。すなわち、アメリカではADRが、立派なビジネスとして確立されているわけです。

③ 違いの第2は、日本の場合、調停人が、申立人・相手方と交互に面談する別席調停が主流であることです。これをシャトル方式ともいいます。他方アメリカの場合,原則的に申立人と相手方が1つの部屋に同席して調停を進める同席調停です。ただ、アメリカの場合でも、まったく別席調停をしないわけではなく、ここぞというときに別席にして一方当事者のみから話を聞きます。これをコーカスといいます。このコーカスを行うにはそのタイミングやルールに気を遣う必要がありますが、メディエーターの中にはコーカスを多用する人もいます。

 同席調停に対してよく言われるのは、声の大きいほうが勝つのではないか,気の弱い人であれば言いたいことの百分の一も言えないのではないかという批判です。

 他方、別席調停の場合,当事者は調停人を通じて相手方の話を聞くことになるので、微妙なニュアンスや真意が伝わりにくくなるという批判があります。非言語コミュニケーションによって伝えられる情報の量が、コミュニケーション全体の93パーセントに達する(吉川馨子「リスクとつきあう」有斐閣選書)という見解によれば、別席調停は双方のコミュニケーションを図るという観点からすると致命的な欠陥があることになります。

④ 第3に、日本の場合、調停人は積極的に当事者に対して調停案を提示することが多く、また調停人は提示した案を両当事者が受け入れるように説得することが多いです。アメリカの場合、調停人は,当事者に対して,基本的に解決に向けた方針や和解案を提示することは原則としてありません。当事者の主体的活動による解決を促します。

⑤ 第4に、日本の場合、制度として、調停人対する調停技法のトレーニングのシステムはありません。アメリカの場合、調停人は、調停技法のトレーニングを受けることが必修です。そして、このトレーニングの中心は、アクティヴリスニング等を基本としたカウンセリングの技法の習得です。この技法は、メディエーターにとって必要不可欠です。

⑥ これら以外にも、日本の調停委員は当事者に自己紹介をしません。しないというよりは,自己紹介を禁じられています。アメリカの場合、当然自己紹介は当然しますし、システムによって違いますが、事前に担当するメディエーターがどのような事件を過去に手がけているかなどがわかるようになっています。

当事者にとって、自分の紛争の解決をこれから委ねようとする調停者が名前も名乗らないというのはいかがなものでしょうか。

 

5 オレンジケースが教えるもの

① テキスト編でも取り上げている「オレンジケース」ですが、これは姉妹が1つのオレンジを取り合いしているところへお母さんが来てこの揉め事をどのように解決するのかを考えるもので、その解決方法にもいろいろなものがあります。実は例としてあげている解決方法は、世の中の紛争解決方法そのものです。

② 1つ目の方法である「あなたはお姉さんなのだから我慢しなさい。」と言って妹にオレンジ全部を与えるのは、一般社会に通常ある解決方法です。権力を持つものが紛争の解決案を出し、紛争当事者に有無を言わせず従わせる方法です。紛争当事者は解決案を受け入れないと権力を持つ者から後でどのような不利益を受けるかも知れないので表面上は従順に解決案を受け入れ紛争は解決します。

解決案を提示した権力を持つ者は自己の哲学、正義感で紛争解決をしましたので社会正義は保たれていると考えています。しかし、紛争当事者の一方については紛争の解決にはなっていません。

③ 2つ目の方法は、どちらが先にオレンジを見つけて持っていたのかを姉妹に聞いて妹に「お姉さんが先に持っていたのだから我儘を言うのじゃありません。」と言って姉にオレンジ全部を与えるというものです。これはどちらに正当性があり権利があるかを紛争当事者に聞いて紛争解決案を提示する方法です。民事裁判はこの方法で処理されます。法律というルールで定められた範囲での主張のみが解決案作成の基礎となります。

ルールを知らなくて主張できなかったこと、ルールを度外視した主張は解決案作成には採用されません。ルールを熟知した専門家でないと自分の主張をうまく言えないため紛争当事者に不満が残る場合が多々あります。

④ 3つ目の方法は、いままでの経緯を姉妹に聞いて,多少姉に言い分がありそうだけれど「あなた方は姉妹なのだから仲良く二人で分けなさい。」と言ってナイフで二つに割って姉妹に与えています。これは正当性や権利の有無についての双方の主張は聞きますが、厳格にルールに則った方法での解決案だけで紛争解決の道筋をつけるのではなく、紛争当事者の各々に譲歩をしてもらい紛争を解決していく方法です。紛争当事者の間に立つ者は紛争当事者に譲歩をしてもらうために説得をしたり、紛争解決案を提示したりします。裁判所で行なわれている調停や和解の手続です。

⑤ 4つ目の方法は、いままでの経緯とオレンジをどうしたいのかを姉妹に聞いて、オレンジの皮を姉に、オレンジの実を妹に与えるというものですが、実は姉はマーマレードを作るためにオレンジが欲しかった、妹はオレンジの実が食べたくてオレンジが欲しかったというものです(WIN-WINの関係)。もちろんこれは教科書事例であり、良くできた作り話ですが、あるべき理想的な解決方法を示しています。

4つ目の方法は、正当性や権利の有無についての双方の主張は聞きますがあまり重視はしません。紛争当事者の真に望むものは何かを各々に主張してもらい紛争当事者相互に相手方が望むものを理解してもらって解決案を紛争当事者で策定してもらいます。紛争当事者の間に立つ者は紛争当事者の権利の把握のみではなく、何を求めて紛争しているのかの把握を大事にして紛争当事者に紛争の背景にあるものを自覚してもらうよう努める手続をします。一般社会で行なわれているじっくり話し合って相互理解をして合意する方法です。

⑥ 4つ目の方法が紛争当事者の最も望む解決方法でしょうが、現実問題として紛争当事者は感情的になったり、お互いに絶対譲れない要求なのだと思い込んだりしていますので、相手方のことを理解することはとても難しいことです。

そこで、紛争当事者の間に立ち相互理解ができるような対話を促進させる技術を持つ調停者を入れて紛争解決を図る仕組みが必要となります。

よく訓練された調停者によって紛争当事者が対話を通じて相互に紛争の原因や背景を確認して相手方の望んでいるものを理解したうえで、紛争解決案を紛争当事者で作成する。紛争当事者自身が決定した内容で紛争を解決することが理想的な揉め事解決の仕方です。

 

6 メディエーションの可能性

① 当事者の状況

 ⅰ 前述したように、もし両当事者が自分たちの力(対話)によって問題を解決することができたらその結果に満足し、合意したこともきちっと履行されるでしょう。

しかし、当事者だけではなかなかこのような解決はできません。なぜなら、紛争当事者は相手に対し、怒り・憎しみ・悲しみ・恐怖などで冷静に話ができない精神状態にあることが多いのです。あるいは、相手方と利益が対立しているという意識に支配されて、合理的な判断ができない場合もあります。このような状態にある当事者の多くは、自分の主張を何度も繰り返し述べ、相手の話を聞いているようで聞いていません。場合によっては、相手が話をしているのにもお構いなく自分の話を声高に展開します。また主張の内容は論理的でなく感情的で理不尽なものが多くなります。すなわち、総じて相手の話を冷静に聞くことができない状態、あるいは当事者もどうしていいかわからない状態なのです。

 ⅱ 当事者は、自己の価値観・経験を通じて、事態を認識・把握しています。この価値観や経験は当事者ごとに違いますから、同じ事態であってもそれの捉え方、受け止め方、見え方がまったく違ってくる可能性があります。

 例えば、これをテキスト編で取り上げたクリーニングケースで考えてみましょう。クリーニング屋にとって、洗濯物は毎日大量に扱うものであり、クリーニングケースで問題になったジャケットはその一つにすぎません。いいことかどうかは別にして、クリーニング屋にとってたいした問題ではないという気持ちがあるかも知れません。また、クリーニング屋としての長年の経験からすると、ジャケットの袖口の不具合は当然起こりうる不具合であり、避けられないものであるとの認識があったかも知れません。これは専門家としての事態の把握です。他方、洗濯物をだした客からすると、クリーニング屋はその道の専門家であり、プロとして失敗は許されないとの思いがあるかも知れません。またそのジャケットが就職祝いに母からもらった特別のものであるという想いが、執拗にクリーニング屋に食い下がる動機になっているのですが、クリーニング屋にはそのことはわかりません。表面的には、ジャケットのそで口、ポケットのコーティングがはげたことによるトラブルにすぎませんが、両当事者の認識・想い・経験等が複雑に交錯しており、事態の捉え方、見方が食い違っています。

 

② メディエーターの役割

 ⅰ そこで、メディーターの役割は、当事者の話を聴きながら、当事者を落ち着かせ、まず冷静に対話ができる状態にすることにあります。メディーターが、当事者の主張、要求、不平、不満、怒り、悲しみ、憎しみ等をとにかく聞いてあげて、それを受け止めることにより、次第に当事者は落ち着きを取り戻していきます。

 また、メディエーションという場の設定自体に当事者を落ち着かせるという要素を多分に含んでいます。感情的に言い争い、罵りあっていた当事者が、第3者が介在するメディエーションの場に着くということ自体が紛争の局面の転換を意味していますが、メディエーションの場にとにもかくにも着くということは、当事者の心の中のどこかに解決したいという想いがあるとも言えます。その意味で、メディエーションの場を持てれば、そのメディエーションは半分成功したとよく言われます。かかる観点からすると、どのようにして当事者をメディエーションの場に着かせるのかということは重大な問題であり、相手方にメディエーションへの参加を呼びかける時点からメディエーションは始まっているのです。

 さらに、メディエーション場についた当事者は、相手方ではない第3者のメディエーターに事案・自己の主張の正当性を理解してもらいたいと思っています。メディエーターを説得しようと思えば、多少ともその話は論理的でなければなりません。相手方に対して一方的に話していたやり方ではダメだとも思うかも知れません。当事者は感情的になってばかりではいられないのです。これにより当事者は少し冷静になります。メディエーションにおけるイントロダクションは、冷静な対話を開始する意味で、重要な手続であり、特に対話のルール決めは当事者を冷静にさせるのに拍車をかけます。

 ⅱ 当事者が落ち着きを取り戻し、冷静に話をするようになっても、相手の話を聞いてまた興奮し出すことはざらにあります。メディエーターはまたじっくり当事者の話を聞き、場合によっては対話のルールを再確認しりたして、対話の土俵に乗せていきます。メディエーションは、このようなことを繰り返しながら次第に当事者間の対話を可能にする手続です。このような当事者の冷静な対話が少しでできてきたならば、さらに当事者に気づきを与えることが可能となってきます。

テキスト編で記載しているように、メディエーターは、当事者の話を聞きながら、当事者間のイシューとそれに対する各当事者のポジションを整理していく作業を行います。この作業を続けていくと場合によってはポジションの背後にあるインタレストが見えてくることがあります。この場合、適切な時期にこのインタレストに基づいてリフレーミングや積極的な投げかけを行うことによって、当事者に気づきを与えることが可能となります。もちろんこれは往々にして失敗します。メディエーターがインタレストだと思ったことが当事者にはインタレストではなかったり、当事者の精神状態がまだインタレストに気づくまでには至っていなかったりという場合もあるのです。しかし、このような失敗はまったく気にする必要はありません。またじっくり当事者の話を聴けばいいのですから。

 ⅲ メディエーターがこのような作業をしていく過程で、次第に当事者自身がその力(対話)で問題解決に向かっていきます。

 この点で、よく認識しておく必要があるのは、実は紛争の原因・問題点を一番よく知っているのは当事者だということです。紛争当事者こそがその問題の解決の方向を知っているはずであり、その意味で、本来紛争解決の可能性は当事者が握っているのです。ところが、紛争当事者は諸々の理由から当事者能力を喪失しており、解決に向けての話し合いができなくなっています。それは前述したように当事者の感情的混乱から冷静な判断ができなくなっている場合もありますし、うすうす自分に非があることはわかっているけれども素直になれない場合や、自分に非があることははっきり認識しているけれども、自分の利害関係から意図的にその非を認めない場合までいろいろあります。

 いずれにせよ、紛争解決は、当事者の力で行うことが可能ですし、そうでなければ本当の解決にはなりません。メディエーターはそのための援助者であり、当事者が自分の力で解決するために当事者をエンパワーすることが重要な役割となります。

 その前提として、メディエーターと当事者との間信頼関係の形成が重要であり、相手の話をしっかり聴くことが必要不可欠です。またそのための技法の習得も必要であり、具体的にはアクティヴリスニング(傾聴)を実現するためのオープンエンドクエッション・パラフレージング・リフレーミング・サマライジング等の技法を習得する必要があります。

 

 ③ メディエーションの目指すもの

 ⅰ メディエーションは、紛争当事者の対話促進をはかり、当事者の対話による紛争の解決を図ることです。自分たちの問題は自分たちで解決するという自立した市民社会の形成という思想に基くものです。

 この点に関連して、ファシリテーションという考え方もあります。ファシリテーションのファシリテーターは、メディエーターに似ていますが、メディエーターより手続に対する関与度は少なく、メディエーターのように解決することが目的でありません。対話を促進すること自体が目的であり、紛争が解決しなくても対話が促進すれば成功であると考えます。魅力的な考え方であり、ケースによってはファシリテーティヴ(促進的)な手法も有効であると考えられます。

 ⅱ メディエーションは、紛争について、過去の何が間違っているとか、誰が悪いのかのという判定をするのではなく、これからどうするのがいいのかという将来のことを問題とします。裁判は、過去の紛争に関する判定ですが、メディエーションは、当事者はこれからどうしていくのが最もハッピイなのか(WIN-WINの関係)を探る方策なのです。

 

<第2章> ピアメディエーションへの挑戦

1 高校生の状況

 私たちが、ピアメディエーションの取組を実践し、高校生と接する中で、高校生の現状として実感したのは次の2点でした。

 第1は、生徒の争い・トラブルを回避する傾向です。例えば、テキスト編の「聴く」のワークで実施したアンケートで、聞き役の生徒の感想として「話を聴いてあげて相手が喜んでくれたのがよかった」というのが数多くありました。この「聴く」のワークは、コミュニケーショントレーニングの中では、もっとも基本的なトレーニングですが、大人で実施した場合、先ほどの高校生のような感想が出てきたことはありません。一般的にこのトレーニングの感想としては、話し手の場合、「一生懸命話しているのに、聞き手が時計を気にしたり、目をそらしたりして話しにくかった、あるいはむかついた」、逆に「自分の目を見て話を聞いてくれて話しやすかった」また「相手がうなずきながら話を聞いてくれて気分良く話せた」といった内容が多いのです。他方、聞き手の場合の感想として多いのは「わざと相手の話を無視したり、反論したりして聞くのがむずかしかった」というものです。

聞き手の感想として、相手が気持ちよく話しができるように聞けて良かったというのは高校生だけのもの言えます。これはある意味でいまの高校生のやさしさの現れとも言えますが、逆に相手を怒らしたくない、不快にさせたくない、争いはできるだけ避けたいという気持ちの現れとも言えます。

 また「紛争解決のスタイル」のワークショップにおいても、相手に対して不満がありつつも自分が我慢することによって、トラブルや摩擦を避ける傾向が見られました。

第2に、高校生の伝える能力の脆弱性です。これは紛争に直面してそれを回避してしまう原因の1つにもつながります。すなわち、自分の思いを伝えられないというコミュニケーション能力の不充分さですが、総体的に高校生は、普段の友達同士の会話はできても、いざ何かを伝えようとするとどうしていいのかわからない、対立状態にあるときどのようにして自分の気持ち・言い分を伝えるのかに慣れていないといえます。その意味での「話す」「伝える」という能力は拙劣です。充分に相手に対して自分の気持ちを伝えられないという自信のなさが、伝えること自体を回避することになってしまい、結局対立からの回避ということになります。そして、このようなコミュニケーション能力の不十分性は、紛争やトラブルからの回避だけでなく人間関係そのものの回避にもつながります。そして、その回避が限界に達すると、回避すること自体が臨界点に達し、いわゆる「キレル」という方向に向かってしまう危険性があります。

 その意味で、生徒のコミュニケーション能力を育成し、紛争について場合によっては回避ではなく向かい合っていくこと、対話によって解決していく方法があるということを学ばせることは必要不可欠であると思います。

 

2 ピアメディエーションの必要性

 次にピアメディエーションは必要かという問題について検討します。すなわち、生徒間のトラブルは、教師がその指導力によって解決すれば足りる、あるいは教師がメディエーションすればいいのではないかという問題です。しかし、次の4点からピアメディエーションはやはり必要ではないでしょうか。

① 生徒は生徒を信頼する。

② 生徒にしかわからない問題がある。

③ 生徒の取組である。

④ ピアメディエーションを宣言することによって学校が変わる。

 

① まず第1の生徒は生徒を信頼するという点ですが、生徒は、年齢や関心事、好み、趣味、価値観等でもっとも近しい生徒のことを信頼し、親近感を持つ傾向があります。したがって、生徒間の場合、その共有する価値観等から、大人より話がしやすいという場合があります。年齢の近い同じ生徒のメディエーターに対しては、事案に関してスムーズに話ができる点で教師がメディエーションを行うより有利です。

② 第2の生徒にしかわからない問題があるというのは、教師や保護者には把握しきれない問題が存在するということです。もちろん生徒と教師間、生徒と保護者間の関係によって把握される問題もありますが、教師や保護者がまったく知らない生徒同士だけの世界や空間もあるのです。ここで発生した問題は、生徒が教師や保護者に持ち込まない限り教師や保護者は把握できませんし、その場合解決に向けた取組ができるのは生徒のみです。ピアメディエーションが真価を発揮できる場面です。

③ 第3に、生徒間のトラブルは、教師がメディエーションすれば足りるとする考えによれば、それは先生の取組であって生徒の取組ではなくなります。もちろん教師がメディエーションの取組を行い、メディエーションに関する能力を体得することはきわめて重要なことです。この点は、重要なことなので、項を改めて説明します。

教師がメディエーションの取組を行うことは重要ですが、だからといってピアメディエーションは不要だということにはなりません。ピアメディエーションは、生徒の取組であるということが重要なのです。

この生徒の取組であるというのには2つの意味があります。

ⅰ まず、メディエーターになろうとする生徒は、高いコミュニケーション能力、人や事案・事柄に対する洞察力、人の気持ちを理解できる心などを学ぶことになるのであり、その生徒の成長を促すことになります。また、アメリカでピアメディエーションのトレーニングを受けた生徒は、他の学科の成績も上がるという報告があります。

ⅱ それだけではありません。後述するように、ピアメディエーションの取組は、メディエーターになろうとする者だけの取組ではなく、学校全体の取組でなければなりません。ピアメディエーションについて、学校全体が取り組むことによって、生徒全体に、人間関係の形成・コミュニケーション能力の向上・WIN-WINモデルの理解・対話促進のスキル獲得を促し、生徒の成長を基礎づけます。

④ 第4に、ピアメディエーションを宣言することによって学校が変わると指摘したのは、上記の第3の点と大きく関わります。ピアメディエーションは、現象としての紛争を解決することだけが目的ではありません。生徒間の紛争を結果として解決することだけを目的とするならば、教師の指導力を発動すればよいのです。もちろん学校教育にいて、教師の指導は必要不可欠です。ピアメディエーションを取り組むということは、紛争やトラブルを権威や権力ではなく、対話の促進によって解決するのだということを宣言することと同じです。そして、そのために生徒全体に前記の第3で指摘したメディエーションの内容を普及・啓蒙しなければなりません。これは暴力や権力による問題解決ではなく、対話促進による問題解決を目指すという学校文化の創造の問題であり、その意味でピアメディエーションに取り組むことによって学校が変わるのです。

 

3 学校全体の取組としてのピアメディエーション

 前述したように、現在の高校生の特徴として、①トラブル回避の傾向、②コミュニケーション能力の脆弱性を指摘しました。ところで、「第1編 テキスト編」を見れば明らかなように、実はピアメディエーションプログラムの半分以上は、回避を含めた紛争解決のスタイル、WIN-WINモデル、アクティヴリスニングを含めた基本的なコミュニケーション能力についてのトレーニング等です。なぜこのような構成になっているのかは明かです。

 すなわち、一部の生徒がメディエーターとしての能力を持っていても、それだけでは対話による紛争解決は実現しません。ピアメディエーションを実現するためには、生徒全員、すなわち学校全体として、①対立することも悪くない、対立することから生まれるものもあること、②重要な問題について、回避するのではなく、自分も相手も納得できる解決ができる可能性もあること(WIN-WINモデル)、③WIN-WINの関係は、当事者の対話を復活・促進することによって可能であること、④対話を促進するには、「聴く」と言うことが大事になってくるが、実は「聴く」はむずかしいこと、⑤どうすれば「聴く」ことができ、対話促進ができるのか等の基礎的なことが根付いていなければなりません。

 「第1編 テキスト編 第5章 事案の整理の仕方」以下の内容は、メディエーターに必要な本格的な技法を扱っており、メディエーターになろうとする生徒がトレーニングすればいいのですが、それ以前の内容は学校全体で取り組むべき課題です。その意味で、ピアメディエーションは、学校全体の取組と言えるのです。

 学校全体の取組として、メディエーションの基本理念を学校に基礎づけるためには、後述するように教師がメディエーションについて理解していなければなりませんし、生徒全体をカバーする紛争の捉え方やコミュニケーション能力、対話促進の理念等に関する講演・講義・ワークショップ等のプログラムが必要です。

 

4 教師のメディエーションに対する取組

 前述したように、教師がメディエーションについて取組ことは重要な意味を持っています。

 第1に、ピアメディエーションが学校全体の取組であるということとの関係です。生徒のコミュニケーション能力の育成、対話促進による問題解決という学校文化を創造するためには、教師がメディエーションを深く理解していることが必要不可欠です。生徒は、日常的に接する教師を通じて、メディエーションの理念、理論、考え方等を吸収していくことになります。

 第2に、日本の現状からして、ピアメディエーションを普及させるためには、教師が各学校現場において、ピアメディエーションの指導者になっていく以外に方法はないでしょう。そのためには、教師が、メディエーションの理念と技法に関する深い理解と研鑽が必要不可欠となります。

 ここで注意が必要なのは、従来の教師の教育・指導とメディエーションにおける当事者の対話を促進させるという理念は必ずしも一致しないということです。教師の教育・指導という場合、指導・被指導の関係になりますので、構造的に教師が生徒より一段高い位置にあるということが前提です。他方、メディエーションにおけるメディエーターは中立公平な第3者として、当事者の対話促進を援助する役割に徹するのであり、主体はあくまで当事者たる生徒です。メディエーターは、当事者の上位に立つ存在ではありません。この点を教師が体感できるかはピアメディエーション普及の大きな鍵になると思われます。

 かつて、メディエーションの普及が日本で話題になった頃、弁護士が一番メディエーターに向いていないと指摘されていました。なぜなら、弁護士は相手を言い負かすのが商売だから、メディエーターに向いていないという理由です。

 いずれにせよ、教師がピアメディエーション普及の鍵である以上、教師がメディエーションに取り組むことはきわめ重要な課題と言えます。

 

5 ピアメディエーションのシステム

 本来、ピアメディエーションもメディエーションである以上、メディエーションルームでメディエーターが数回以上のメディエーションを行い、紛争を解決するシステムを確立しなければなりません。ただ、日本ですぐにこのようなピアメディエーションのシステムを実現できるものではありません。事案が発生した場合、どのようなかたちで、メディエーションを開始し、教師はそれにどのように関与するのか、メディエーションが進行し、終了した場合、その過程をどのように管理し、内容についていかにして保存するのかといった解決しなければならない諸問題が山積しており、それについて整理していく必要はあります。しかし、現状は、わずかな学校でピアメディエーションに向けた取組を開始したに過ぎない段階であり、上記の問題を早急に解決しなければならない必要性も基盤もありません。現段階では、上記の問題は将来解決すべき問題として認識しおけば足りることであると言えます。

 アメリカの場合、ピアメディエーションに関して、いろいろな考え方があるようですが、ピアメディエーションの種類について、次のふたつに分類する考え方は参考になります。すなわち、ピアメディエーションについて、①リファーラル(照会)・メディエーションと②ショートフォーム・メディエーションに分けるものです(「ピア・サポート実践マニュアル」トレバー・コール 川島書店)。

リファーラル・メディエーションとは、本格的なメディエーションを意味し、その場合のメディエーションは時間をかけて、メディエーションルームで行うのが通常です。前記①で記載したピアメディエーションは、まさにリファーラル・メディエーションを指しています。

ショートフォーム・メディエーションとは、略式のメディエーションを意味し、どこでも場所を問わず、比較的短時間で実施されるものです。

 テキスト編では、このリファーラル・メディエーションとショートフォーム・メディエーションの分類を参考にして、本格メディエーションと簡単メディエーションの分類を提示しています。当面、日本のピアメディエーションにおいては、この簡単メディエーションの実践から始めればいいのではないかと思っています。メディエーションのトレーニングを受けた生徒が、教室や校庭等で発生した生徒間のトラブルについて簡単メディエーションを行えば、そしてそれが学校の日常的な風景になっていけば、少しずつですが学校の雰囲気も変わるのではないでしょうか。

 また、ピアメディエーションの場合、前述したファシリテーションあるいはファシリテーティヴなメディエーションでいい場合があると思います。ピアメディエーションの場合、何が何でも解決を目指す必要はなく、生徒間の対話が復活すれば成功でると認められることが多々あるのではないかと思います。

 

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